多様でありながら一つ

~大阪・関西万博(EXPO 2025)における所感~

○ 多様でひとつ

2025年、半年にわたって開催されてきた大阪・関西万博(EXPO 2025)は、10月13日に会期を終え閉幕した。

読売新聞の見出しに、2025年大阪・関西万博の成功を評して、『多様でひとつ』という言葉があった。
大屋根リングは、すべての海外パビリオンを円の内に包摂した。(共生を象徴)「多様でありながら、ひとつ」という共生の価値観は、確かに共有された。(読売新聞、10月14日、朝刊1面)

世界は多様でありながら一つになりえる、そのことを一つの輪の中で実現させて見せた(未来の可能性を示した)のが今回の大阪・関西万博だった。さながら、大屋根リングの内側は世界の縮図のようであった。

各国々のパビリオン・スタッフは、自国の文化や科学技術、未来像を誇らしげにアピールしていた。
そして皆がそれを受け入れ、賞賛し、共に手を携えてゆこうとしていた。そこには偏見や差別、戦争や紛争などは微塵も見られなかった。温かく迎え入れられていた。
私は「多様でありながらも、一つになりえる」という理念(メッセージ)を、具体的な形(世界平和の象徴)として、大屋根リングの輪の中に示し得たことが、今回の万博の一番の成果であると思っている。

あの輪は、単なる建造物ではなく、世界を包もうとする日本人の心を象徴しているものだと思う。
「多様でありながら一つ」、それを成し得たのは「心」があったからだ。他者を受け入れる寛容な心、ともに生き、ともに幸せな未来を築こうとする心があったからである。

世界を包み込む「輪」となる、それは皆さんの心(意志)をあらわしている。大屋根リングの輪は、古来伝えられて来た日本人の「和の心」を示すものでもあった。私はそう理解している。

○ 大阪っぽい万博

単に、お祭り騒ぎでワイワイと賑やかにイベントに参加し、楽しかったという人も多いだろう。
煌びやかな花火や噴水ショー、各国独自の歌や踊りもあった。パビリオンの外観に目を見張り、マスコットのミャクミャクの可愛いさにはまってしまった常連客もいただろう。

私は結局、8回ほど万博を訪れた。その内、重度の障害を持つ息子とも2回訪れた。始めは興味本位だったが、回数を重ねるとしだいにその本質的なテーマに近づいて行けたような気がする。
重い障害のある息子の俊にとっては、海外旅行に行くのは難しいけど、一緒に大屋根リングの上を歩くことによって世界一周旅行を楽しんだような気分にもなれた。俊には万博の難しい意味は分からないけれど、世界の空気に触れて新鮮さを味わったに違いない。

スペイン館、ブラジル館、三菱未来館などにも入ってみた。それなりに驚いていた。特に気に入っていたのは、アラブ首長国連邦(UAE)のパビリオンだった。「大地から天空へ」とテーマが書かれていて、自然をモチーフとした展示をされていた。ナツメヤシの枝で造られた柱や、麻で織られた生地など、自然素材に囲まれていて、その香りや肌触りが気に入ったようだ。天井が高く解放的な空間で、居心地のいい場所だった。

本当は、俊とともにもう一度行きたかったのだが、9月に入って以降、連日20万人を超える賑わいで、人混みの中でもし目を離して迷子になったら、とても見つけ出せそうにない(リスクが高すぎる)と感じ、断念した。

世界中の人が集まって和気あいあいと交流する。衝突やいさかいなどは全くない。万博ならではの雰囲気だと思う。実際の世界ではウクライナやガザで今も戦争がおこなわれていて、多くの血が流されているのだが、それが噓のようだ。

日本人は不思議な民族である。あまり自己主張はせず(控えめで)、どんどん他者を受け入れ、取り込んでいってしまう。そしてそこに融和の文化が生じる。大阪のおっさん、おばちゃんは誰にでも気軽に声を掛ける。その気さくさが万博にも一役買っているようだ。厚かましいようでもあるが、いつのまにか身内になったような気にさせる。

今回の万博は特に、大阪っぽい万博だった。
大阪は商人の町であり、大阪人には飾らない人懐っこさ(親しみやすさ)があり、大阪らしい庶民的な万博になっていた。フォーマルな気取った感じではない。

宗教的な目線で見ると、今の日本には無宗教の人が多い。しかし、その心には愛を宿し、数ある宗教や文化を受け入れ一つにすることの出来る寛容さがあった。宗教の究極の目的は、心に神(愛)を宿すことにある。それを自然な形で成し、融和をもたらすことができていたとするならば、喜ばしいことであると思う。

日本人には(神仏を敬う)信仰心があるという。宗教を持たずしても、我知らず心に神を宿し、愛が働いていたということもあるようだ。心は愛の受け皿なのだ。

○ いのち輝く未来

そして、もう一つのテーマは『いのち輝く未来社会のデザイン』である。

最先端の再生医療の展示もあった。AIロボットも出現した。生命は利他であることによって保たれる(動的平衡)という理念もあった。マスコット・キャラクター“ミャクミャク”が生態系の基盤となる(分解者の役割を果たす)微生物をモデルとしているところもまたいい。開催前、あんなに気持ち悪いと言われていたミャクミャクが、こんな人気者になるとは・・・(人や風評は変わるものなのだ)

多様性を受け入れ、共生することにより本来の生命が輝くということである。

1970年の万博では盆栽を並べたような、伝統的な造られた形の「日本庭園」だったが、時代を経て、今回の万博の「静けさの森」はより自然と調和した(自然風の)安らぎのある森になった。私は自然の中に溶け込むことの出来る今回の「静けさの森」の方が好きだ。これだけ日本人の心が変わってきたということである。(私はそれを進歩と感じる)人はより自然に近づいたのだ。

リングの中央に自然の森をおいた。「生命」を大切にすること(いのちの輝き)を共通のテーマにした。
これはナイス・アイデアだと思った。国々の喧騒から逃れて、静かに森の中で瞑想する。どうしたら命を輝かすことができるのか、それをともに考えた半年間であった。

静かに心の森の中を見つめてみましょう、と言われているようだった。
私はその生命のさらに中心に「愛」があると考えている。

いのちが輝く理由、多様でありながら一つである、その理由は中心に愛があるからである。

○ 平和のリング

「円」は、丸くて角がなく、始まりも終わりもなく、無限であり、すべてを包み込む形である。とても仏教的な思想を有しており、禅において「円」は悟りや真理を象徴している。

手をつなぎあい「輪」となる姿は平和そのものであり、日本人が何を望んでいるのかを端的に示すことができる。円を広めれば世界となり、宇宙となる。リングの中にある国々と命溢れる森を見守りながら平和を祈る。大屋根リングの上を散歩しながらそんなことを考えたりした。

ぜひとも、大屋根リングと、静けさの森は大阪・関西万博のレガシーとして残してもらいたいものだ。大屋根リングは、日本が世界に誇る「和の心」の象徴なのである。それをもって世界を包もうとした。世界平和を願ったリングである。そのことを認定し、遺産として残すべきであると思うのです。

大屋根リングは、平和を祈る為のリング『平和のリング』と命名して残せばいい。ただ単に世界最大級の木造建造物というだけでなく、そこに込められた理念(想い)が素晴らしい。平和のための祈りの遺産として残せば、後世、子々孫々が世界に対して誇ることができるだろう。

2025.10.16

俊と行った大阪万博の写真はこちら