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戦争を終わらせるには
うちの家は一人っ子だし、その子供も判断能力を欠く障害者なので、お金の取り扱いはわからない。 遺贈することを遺言書に明記するのか、生命保険信託にお願いするのか、子供のことを第一に考えながらも、節税という観点から、タイミングを見計らって検討してみたい。 ※ 念のために言っておくと、我が家には「遺贈」を声高に言えるほどのお金はない。 世界は難民が溢れている。テレビ・ニュースで報道されて、その映像は時々目にするが悲惨なものだ。恵まれて平和に暮らしている私たちは、少しでもお役に立ちたいと思い、寄付を希望される方もおられるだろう。支援することは大切なことであり、最前線におけるUNHCRの活動は本当に貴い。 とにかく難民は増え続け、人材も物資もお金も足らないらしい。寄付をして食料などの物資を送り続けることは重要なことなのだ。「資金と人員の不足により、受け入れ国でのUNHCRの活動が縮小されると、その結果は明らかです。命が失われるのです。」(グランディ国連難民高等弁務官)と言う。支援の停滞は死に直結する。 UNHCR、およびそこに寄付をされた方々は、確かにその現場において人々を救っているのである。
しかし、ふと思うことだが(大変失礼な言い方かもしれないが)、これらのことは戦争がもたらした結果に対して対処しているのである。つまり後追いである。(もちろんそれらの支援は必要であり続けて頂きたいのだが、)戦争が起こり続ける限り、難民も増え続ける。終わりがない。原因である戦争自体をなんとか減らすことはできないものだろうか? そもそもなんでそのようなこと(戦争)が起こるのだろうか。 人間は自分を正当化し、美化しようとするのでなかなか気づかない(自覚しない)が、人間自身の中に争いを引き起こす要因(衝動)、原因となる欲望(邪心)があるのだ。憎しみや恨み、許せないこと、受け入れられないこと、愛せないことがあるのだ。欲望についても万民に益するものばかりではない。自己中心な生き物である。 平和を望んでいると言いながら(美化しながら)、私腹を肥やし、自分の事ばかり考えている。 関心を持つということは、寄り添うことであり、痛みを共有するということであり、次の行動(救済)へとつながってゆく。でも無関心な人が多い。 地球上の生き物の中で最も残酷で、害をもたらす生物が「人間」であると言われている。 戦争を終わらせることはできないのか。 戦争は人間が引き起こしているものである。為政者の心一つで引き金を引く結果となる。
アメリカはキリスト教精神に基づいて世界平和に貢献してきた。にもかかわらずトランプ大統領就任以降、アメリカは自国第一主義となった。(これはキリスト教精神に反している) 人の心に何かが欠けてきているようだ。 神から離れることにより、人間の欲望(煩悩)が剥き出しになり、自分を正当化しながら(自己中心になり)侵略を続けている。戦争や紛争が増え、その結果として難民は増え続けている。 24時間テレビのキャッチコピーではないが、「愛は地球を救う」と本気で思うなら、宗教に対して本気で取り組まなくてはいけない。宗教とは内なる心の声である。そこに愛があるのかという話しである。 人は器である。その心に何を宿すかによって正にも邪にもなる。それを見極めるために宗教を必要とするのである。 世界は再び人間の欲望が渦巻く、覇権争いが席巻しつつある。
宗教は根本において同じである。同じ神から生じたものである。(と、私は思う) 宗教が全く同じであると言っているのではない。多様であって当然である。ただ本質(根っ子)が同じであると言っているのだ。愛がなく、慈悲の心を失うとしたなら、人間が人間でなくなってしまうということである。生きた教え、生きた神、生きて働く「愛」と「慈悲」を掴まなくてはいけない。 もっとお互いの宗教を尊重すべきであり、早く同じ神であることに気づくべきである。 受け止める側である人間の個性や文化の違いにより表現は違うけれども、よくよくその本質を見極めれば同じなのである。それを認めれば同じ神のもとつながり合う(互いを尊重する)ことができる。宇宙の根本には愛がある。愛によってのみ平和は築かれる。宗教の融和と復興は、平和の基礎となる。 宗教が本当に機能したなら、人の心は改まり、戦争ではなく平和へとむかうはずである。 人が多様であるために、宗教も多様なものとして顕われるが、その本質を突き詰めると「愛」や「慈悲」に行きつく。同じもの、同じ神、同じ心にたどり着く。他者を認めることは偶像崇拝にはあたらない。ただ、同じものにたどり着いているだけである。本質を極めれば、融和に至るのである。 人の力で解決できるのならば、戦争はとうの昔に解決している筈である。人の力ではどうすることもできないから繰り返している。恨みを抱いたら恨みを抱いたままである。やられたらやり返す。報復行為として戦争が正当化されてしまう。エンドレスである。
重い障害を乗り越えてゆく愛は、人の思いではなく、必要なのは神の愛に近づいてゆく努力である。 科学技術の進歩、AIの普及、人が神にとって代わるような時代になろうとしているが、それでは本当の心が満たされない。本当に必要な物は「愛」なのである。だから、AIが持て囃され普及すると同時に、その一方で「こころの時代」、宗教の時代が来なくてはいけない。 ただ、気をつけねばならない。 信仰があるようにふるまうことは簡単である。どこぞの宗教・宗派に所属し、肩書を持ち、それなりの儀式に参加していれば、いかにも信心深いように見られる。しかし私の言おうとしていることはそうではない。自分を超えて、真に心の声に耳を傾け、神を抱き、愛に生きるということなのである。それは目に見えない。 そのような潮流が、静かに、ひたひたと潮が満ちるように広がってゆくことにより、隠れたところで人の心を動かし(為政者の最後の決断を左右する)、戦争が収まっていくように思われるのである。 宗教は、静かな心の革命、戦争の回避、平和への道なのである。
今回この原稿を書いた理由は、 戦争の悲惨さや犠牲者のことを伝える。難民の救済や復興支援に関心を持つ。それらのことは重要ではあるが結果に対する対処である。結果を指摘し、繰り返してはいけないと言いながらも、戦争は終わることなく、支援が追いつかないほど難民も増え続けている。 結果に目を向けるだけでなく、原因に対しても切り込んでゆかなくてはいけない。人間自身(自分自身の心)に対して追及しなくてはいけないことがあるのではないかと思うのです。 人の内面に対して反省を促し、内なる革命をもたらさなくては戦争は終わらない。 2025.9.16
PS: 先月、「ベスト・キッド・レジェンズ」という映画を観た。私はこのシリーズが好きである。 流れてくる曲も「Listen to Your Heart」(心の声を聞け)である。 ストーリーは先が見えるほど単純だし、アクションシーンも派手ではない。宮城先生は一見、ただの“おっさん”のようである。それなのに、何故カラテ・キッド(ベスト・キッド)が好まれるのかというと、内なるものを引き出そうとしているからである。心の声が主役だからである。 宮城先生は仏教徒である。作中、神という言葉は使われていないが、禅の心はクリスチャンの心にも響くのである。無心の心、禅の心で、自分の内側に仏の心(神)を見いだし、愛によって勝利を収めた。 宗教は融和し、「愛」に至るのである。 「レジェンズ」は6作目となる。ジャッキーがカンフーの先生、宮城先生の弟子ダニエルさんがカラテの先生という役柄です。二人でリー少年を育てます。カンフーとカラテについて、”
Two branches, One tree.” という台詞が出てくる。「一つの木の二つの枝」、元を正せば同じ木であり、根っ子は同じであるという意である。だからいがみ合うことなく、仲良く弟子を教えていた。両方のいいところを引き継ぐことができたのである。 東洋人と西洋人も人としては同じであり、根っ子は同じととらえることができるし、 心を支えるものが一つとなれば、本当の力を発揮することができる。人を生かす力です。全ての結果を変えてしまうことができるかもしれません。 内側にあるものが外に表れるのです。心を正すことができれば結果はおのずとついてきます。
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